京大生、人に会う

現役京大生がいろいろな人に会って、そのインタビュー記事を載せるブログです。

No.2:ブルガリア民族舞踊のダンサー③~【ブルガリアで面白かったこと】【舞踊団への就職活動】【これまでを振り返って】~

 

ブルガリアで面白かったこと】

――ブルガリア人って、どんな感じですか?

 

M:些細なことだけど、ブルガリアの人は人助けに一生懸命にならない。できる範囲で力を尽くしてくれるし、できないことはやらない。すごく自然で、いいことだなって感じる。あと、ブルガリア人はすごくめんどくさがり。暇そうなのに、「忙しい、忙しい」って。

 

――なるほど。国の雰囲気はどんな感じ?

 

M:一言で言うと、発展をやめた途上国? 日本と違って、機械とかは古いまま使われてる。代わりに、一次産品が充実してるね。人が少なくて、土地が余ってるから。

 

――雰囲気が暗いわけではない? 停滞感というか。

 

M:みんな、そういうことは考えてなさそう。目の前に食べるものがあればいいや、って。その割に、「お金ない、お金ない」とは言ってる。だから発展しない途上国。

 

――ヨーグルトはおいしかったですか?

 

M:向こうのヨーグルトはすごく酸っぱい。それに粗悪品が多かった。みんな安いものを欲しがるから。日本って、いいものを安くしようとするけど、ブルガリアでは品質と値段が対応してる。

 

――そっちの方が、当然な気もしますけどね。

 

M:むしろ日本はゆがんでるよね。加工食品の方が安かったりする。

 

――具体的に、おいしいものはありました?

 

M:ルテニツァって瓶詰がおいしい。ピーマンとトマトのペーストなんだけど。これをパンにのっけて食べる。あと、チーズがおいしい。サラダにもりもりかけるの。スイカにもかけるかな。

 

――スイカに⁉

 

M:塩をかけるのに近いと思う。

 

――納得。ところで、ブルガリアという国は近隣諸国とどう違うんでしょうか。僕は東欧の国々をよく知らないので。そういった雰囲気や文化は、ブルガリアに固有なんですか? それとも、より広くその地域に共通している?

 

M:ブルガリア人は西隣のマケドニアブルガリアだと思ってる。北側で接してるルーマニアは何となく、どこか違うかな。南のギリシャだと、もっとゆっくり時間が流れているイメージ。呑気というか。ブルガリアの方がくすんでる。陰があるかも。私はこの陰を悪いとは思わないけど。むしろ落ち着く。あと、ギリシャはユーロを導入しちゃったから物価が高い。ちなみに、中東欧は民族意識が強いよ。

 

――侵略されてばかりだったからでしょうか。

 

M:そうかも。国や文化に興味があることを伝えると喜ばれるんだけど、仲間になろうとすると拒まれる。生まれもDNAも違う人間には無理だぞ、って。みんながみんなじゃないけど。だから今後舞踊団に行ったら、そういう扱いを受けるかもしれないな、とは思ってる。覚悟はしてるけど。

 

【舞踊団への就職活動】

――留学中から舞踊団への就職活動はしてたんですか?

 

M:留学中の5月に、一番好きな舞踊団がダンサー募集してたから、拙いブルガリア語で電話したんだけど、すぐ外国人だとばれて門前払いされた。ここは、国内でも最大級のところだから、要求水準が高いのは知ってたんだけど。だから、もう少し語学が身についてから再挑戦しようって、ずっと募集が出るチャンスを待ってたら、それがなかなか出なくて。そのうちに、帰国することになっちゃった。仕方がないから、日本で就職活動を始めた。大学院の研究にも復帰しなくちゃいけなかったし。

 

――でも、その間も練習してた?

 

M:隙間の時間を頑張って見つけて。体は絶対維持しなくちゃいけないから。あと、舞踊団の募集って、オーディションの2、3週間前に突然かかるから、これもまめに確認してた。それでも就活中は忙しくて、一回見逃したことがあったかな。

 

――ショック! 結局、どこから内定もらったんでしたっけ? 一番でかいとこ?

 

M:三大って言われるところじゃなくて、中堅どころ。これが修士3年の9月。

 

――つい最近ですね。

 

M:その時は、食品メーカーの開発職で就活の方も決まってたんだけどね。その状態で受けに行ったら、OKされて。だから、会社の方の内定は辞退しちゃった

 

――オーディションって何させられるんですか?

 

M:振り付けを考えろとか、斜めに回転しながら進めるかとか。適当に流された曲でリズムを取らされたり。男女ペアで踊らされたり。

 

――結構いろいろさせられるんですね。

 

M:留学中にやっていたことばかりだから、まったく歯が立たないってこともないんだけど。

 

――ところで、そもそも舞踊団って、何を収益源にしてるんでしょうか?

 

M:週に1回お祭りみたいなところで講演してる。あと、市からお金をもらってた。団長さんの一存で万事が決まってたから、公務員とは違うみたいだけど。

 

――ちなみに、お給料は?

 

M:めちゃくちゃ低いよ。3万円くらい

 

――それって、現地だとどのくらいの感覚ですか?

 

M:めちゃくちゃ倹約して、服も買わず、病院にも行かなかった月の生活費がそれくらい。

 

――(‘Д’)

 

M:でも、半日しか仕事がないから、舞踊団の人はみんなアルバイトしてる

 

――定職っていうよりは、夢追い人って感じのお仕事なんだ。ちなみに、それは当たると大きいんですかね。カリスマダンサーとか、国民的ダンサーみたいな人はいるのかな。

 

M:う~ん、分からない。舞踊団によってはソロダンサーがいたから、もしかしたら待遇が違うのかも。でも、フォークダンスって個人で踊るものじゃないから、一人で目立つようなことは少ないかな。

 

――ちなみに、僕は他の方を知らないので勘違いしているのかもしれないんですが、舞踊団のダンサーっていうのは、専業っていうか、それを志している人が多いんですか? それとも、レベルの高い主婦が活躍しているイメージなのかな。

 

M:舞踊団にいる人は、仕事のつもりでしてるかな。

 

――その割に、そのお給料、と。

 

M:それでもやりたい人だけが残っていくな。だから、男性のダンサーだと、家庭を持ったら転職することが多いみたい。

 

――それで、内定がなくなっちゃった経緯って?

 

M:こちらに非がないかというと、難しいところなんだけどね。私としては内定をもらってすぐ現地に行きたかったの。修士なんていらないから。でも、さすがに親に泣きつかれて。それで、どうせビザが出るのに時間もかかるし、一つくらいわがまま聞いてもいいかなって思って、先方に2月まで待つようお願いしたの。修論出したらすぐ行くつもりで。そしたら了承してくれたんだけど、そのあたりから雲行きが怪しくなって。必要書類を整える作業がものすごく複雑で、やり取りしているうちに団長さんがうんざりしちゃったんだろうな。返信期限を指定してメールを送ってもメッセージが返ってこなくて。それで電話したら、「クリスマス休暇だから年明けまで待て」とか。分かる範囲で揃えた書類を送ろうとしたら、いまいち反応が鈍いっていうか、適当な感じで。こっちが業を煮やして住所を聞いたら、ついに断られた。

 

――肩透かしを食らわされた形になるわけですけど、やはりショックでした?

 

M:心はずっと武装してた。だから内定を取り消されたときは、やっぱりかぁ、って思うくらいで。直後は、もう一回就活するのめんどくさいな、くらいだった。でも、4、5日経って、京都でお世話になった方に直接お会いして、報告した時に、自分がすごく大きなものを失ったように感じて。それ以来ずっとテンションが下り坂。

 

――今もまだ下ってる?

 

M:ごまかしてるっていうか。

 

――そんななか恐縮なんですが、これからの見通しっておありですか? それは私が聞きたいわ、って感じかもしれませんが。

 

M:いまはブルガリアに向き合うのがしんどい。心が無、っていうか。でも、また好きになれる気もしてる。だから、今は就職活動をしているけど、その時が来たら他の舞踊団を受けようかな、と。生活費を稼ぐ当ても考えてるし。

 

――逆に、ダンサーになったら死ぬまで続けるくらいの気でいるんですか?

 

M:生活がよっぽど苦しいとかでなければ。ただ、故障は怖い

 

――やっぱり、趣味ではなく仕事として?

 

M:趣味として続けていくのは、むしろしんどい気がする。ダンス留学にしたって、私が切り開いた道な訳じゃない? 私が夢を遂げられなかったとして、それを見た後輩が、私のたどった道を進んでプロになったとしたら、きっとそれを喜べない。昔は本気だったけど、思い半ばで諦めて、今は趣味で後輩を育ててる、そんな人にはなりたくないの。巣立っていく子を見守るよりも、自分が当事者でありたい。だから、趣味で続けていける自信がない

 

――「なれたかもしれない」と言い続ける人生は嫌ですよね。

 

【これまでを振り返って】

――7年間踊ってきて、まさかこんなところにたどり着くとは想像してらっしゃらなかったと思うんですね。もはや、人生とブルガリアとが密接不可分になってる。そうした中で、世界観というか、ものごとの感じ方は変わりましたか?

 

M:日本人である事がどういうことなのか、考えるようになった。それに、私にとってブルガリアは生き甲斐そういうものがあるということを、幸せに思う。失っちゃったけど。

 

――とはいえ、やっぱりすごいですよ。本当に、エネルギッシュですよね。僕にはそういうものがないですから。うらやましいのともちょっと違うんだけど、安心するというか。世の中には、そういう人がきっと必要なはずだ、って。

 

M:負けず嫌いが高じて、ここまで来た感じ。

 

――いっそ、舞踊団作っちゃいます? よりビッグな感じでいいかも。

 

M:え~、でもやっぱり自分が踊っていたいな。

 

――一緒に踊ったらいいんですよ。自分のお金で仲間を集めるの。

 

M:商社にでも入って、バリバリ稼ぐか。

 

――その意気ですよ。

 

M:やってやろうかな。私、憤慨してるもの。

 

――冗談はともかく、なんとか見返してやりたいですよね。

 

M:ほんとうに。これから、頑張らなくちゃ。

 

立ち上がるMさん。彼女のdancing lifeはまだまだ続く

 

<参考> ブルガリア民族舞踊

最後に、Mさんおすすめの踊りを2つ紹介してもらいました。本人による解説付き。

 

https://m.youtube.com/watch?v=FqRnYfjSU7I

ブルガリア中央部、トラキア地方のお祭りの踊り。三大舞踊団の一つであり、私が住んでいたプロブディフにあるアンサンブル“トラキア”が、講演の最後に必ず踊ります。観客にとっても馴染みの一曲で、舞台も客席も凄いエネルギーです。個々のダンサーを見ると、女性の優雅さ、男性のダイナミックさが人それぞれに表現されていて、何回見て も飽きません。ブルガリア滞在中はこの舞踊団の追っかけをしていたので、生で何回も見ました。また見たい!!!!

 

https://m.youtube.com/watch?v=YkxDFAaIKK8

ブルガリア西部、ソフィア周辺のショプ地方の踊りです。一番大きい舞踊団、フィリップ・クテフの十八番です。女性は頭に赤いスカーフを付けたり、ほうきのようなフサフサをかぶって踊ります。踊りはベルトで一列につながり、上下に波をいれて地面を蹴ったり飛んだりする踊りです。隣の人と波を合わせるのが難しいですが、揃った時の気持ちよさは格別です。ソフィアの女性は強いイメージがあります(私目線)が、この踊りの力強さはまさに私のイメージする女性像、という感じがしてとても好きです。また、リズムが特徴的で、前半が5拍子、途中から11拍子というバルカン半島特有のリズムにのせて踊ります。

 

終わり。

No.2:ブルガリア民族舞踊のダンサー②~【ブルガリアに行くまで】【ブルガリア留学】~

 

ブルガリアに行くまで】

――いまでこそ、こんな感じですけど、そのプロフェッショナリティは初めからあったわけじゃないですよね。一回生の時に、ブルガリアに出会って、だんだん醸成されていったというか、のめりこんでいったという感じで。その過程について、聞かせてください。

 

M:さっきも言ったみたいに、うちのサークルは楽しく踊ることを大切にしているんだけど、ブルガリアを知って、何度かデモを踊るうちに、もっと上達したいって感じるようになっちゃって。一人でメラメラしてたっていうか。それで、ある時東京の教室に行ってみたの。帰省するついでに。

 

――世の中には、ブルガリアの踊りを教えるために教室まで開く変態がいるんですか

 

M:教え方も変態なんだよね。さっきの「基礎」はここの先生に教わったんだけど。ともかく、それで火が付いた。あと、同時期に、ブルガリアのなかでも一番好きな地域のダンサーが来日してくれて。その人たちの教え方がすごくドSで、楽しくって。それでも火がついたの。

 

――Mなんじゃないの

 

M:いやいや、ドSだもん

 

――それがいつごろ?

 

M:2回前期かな。

 

――それでそれで?

 

M:ブルガリアしかない、って思ったのは、その年の夏空け。京大に入ると、たいていの人は多かれ少なかれ、自分の個性の無さに悩むじゃない? このころ、まさにそういう気持ちがいくとこまでいっちゃったの。私は、なんの特徴もない、無難な人なんじゃないか、って

 

――(あんたがそれを言うのか)

 

M:サークルでは、先輩から教わった踊りを、そのまま後輩に伝えるってことをするんだけど、当時、私の教え方が無難だって言われちゃって。結構傷ついたっていうか、コンプレックスにグサッ、って。当時の彼にも、「お前のアイデンティティはなんだ? お前はつまらん」って、ボコボコにされて。

 

――すげえ彼氏だ

 

M:変な人だったなぁ。それで、すごく頭にきて、すごくへこんで。私のアイデンティティブルガリアだ、って無理してでも思いこむようになった

 

――それから?

 

M:3回生の一年は、特に変化もなくて、こつこつ練習してたんだけど、4回生の時に、両親が東京の家を引き払ったり、研究室配属があったりして、おいそれと例の教室に行けなくなっちゃったの。それに、ちょうどその教室を紹介してあげた後輩が、この子も実家が東京なんだけど、みるみる上達していて、すごく悔しくて。焦った。上達できないまま置いて行かれるのは耐えられない、って。そう思ううちに、ダンス留学を考えるようになった

 

――(いや、考えねえよ)

 

M:それで、大学院はブルガリアで通いたいって言ったら、親に大反対されて。さすがに諦めた。仕方ないから院進したの。だけど、ブルガリアのことが頭から離れなくて。いいな、いいな、って。それで、フェイスブックで講師の人達のページを見てたら、みんなが卒業しているアカデミーがある事に気づいた

 

――おおっ!

 

M:調べてみたら、1年間の留学生を受け入れてて。それで、ここだな、って。で、修士1年の夏から行くことにした。

 

――ダンス留学……

 

M:さっきの後輩は東京には行けるけど、文系だから就職しなくちゃいけない。でも、院に行く私はまだまだ大学生ができて、その時間を使ってブルガリアまで行けるんだ、って思った。それに、周りを見渡してみたら、サークルの同期は半分くらい留年してたの。それを見て、私って、これまでそこそこ真面目にやってきたんだな、って思って。だから、一年くらいならわがまま言ってもいい気がした。あと、これは言い忘れてたんだけど、私は3回生と4回生の夏にそれぞれ一度ブルガリアに行ってるんだ。当時は、老後に住みたいな、なんて思うくらいだったんだけど、改めて真剣に考えてみたら、そんな悠長な気持ちにはとてもなれなくて。だから、とりあえず今すぐ行かなきゃ、って。

 

ブルガリア留学】

――ざっくり感想としては?

 

M:学校に行ってみて、自分のやってきたことが意外と通用したことに驚いた。お世辞ではあるにせよ、「日本人なのにこんなに踊れてすごい」って、褒めてもらえて。それで、国籍とは関係なしに「こんなに踊れてすごい」って言われたくて、また闘志が燃えた。そんな風に頑張っていたら、帰るころには、「残って、もっと一緒に踊ろうよ」って声をかけてくれる人もいて。舞踊団に入って、ダンサーとして暮らしていけたらどんなにいいだろう、って考えたのも留学中。以前から、パフォーマーになることは夢見ていたんだけれど、これはあくまで夢でしかなかった。だけど、ブルガリアで過ごすうちに、気付けばこの夢がリアリティを帯びるようになってきて。手を伸ばせば、すぐ届く場所にあるぞ、って。ダンサーになりたいと明確に思うようになった

 

――なるほどね。そのあたりは後でじっくり伺うとして、まずは現地でのことを。そもそも言葉が分からないんですよね?

 

M:そうね。でも、踊りのいいところは、話さなくても見たら真似できるところ。始めのうちは時間割が分からなくて苦労したけど、その程度かな。先生の注意なんてシンプルだし。高くとか強くとか。

 

――他にブルガリアへ留学した人の話って、聞いたことあります?

 

M:医学部は、現地の大学と提携してるらしいよ。ちなみに、滞在中に「ブルガリア留学記」ってブログを書いてたんだけど、私が帰ってきたころに、同名のブログができて、それが医学部から行った人のものだった。真似されたのか……⁉、って

 

――タイトルが被った……。

 

M:ブルガリアに留学したら、この名前になるのは仕方ないけどね。

 

――行った先に、他の留学生はいましたか?

 

M:音楽科にはギリシャ人が5、6人いたかな、いつの間にか何人かいなくなってたけど。でも、ダンス科は私1人だった。それに、先方も日本人なんて受け入れたことがないから、もて余すようなところがあったな。

 

――現地には日本の人っていました?

 

M:ほとんど接触してないかも……。そういえば、旦那さんがトルコにいるって人に、街中で出会ったよ。あとは、カウチサーフィンで何人かと。本当に、そのくらい。

 

――語学留学のあるべき姿ですね。お住まいはどちらに?

 

M:寮だった。ただ、市の施設だったから、いろんな大学の人がいて。

 

――ごめんなさい、今更なんですけど、留学してたのはソフィアですか?

 

M:プロヴディフっていう、中央部の都市。国内で二番目の大きさなのかな。

 

――そこにあるアカデミーってことは、その地方の踊りだけを教えてる?

 

M:そんなことはなくて、全地方の踊りを教えてる。ただ、どんな劇団やアカデミーでも、やっぱり所在地域の踊りが一番得意。それに、地域によって体のつくりが違うの。だから、同じ踊りを踊っても雰囲気が変わってくる。同じ国内でもそうだから、当然日本人とブルガリア人の違いはもっと大きいよ。

 

――それはどんなふうに?

 

M:どれだけ同じ動きをしようと思って真似しても、細かいところで違いが出てくるんだ。全く同じ振りをしていても、ブルガリア人は指先がばらける。その少し脱力した感じが綺麗なの。逆に、日本人はかっちり揃える。見てて楽しいのは、ちょっと遊んでる方。女性の隙は色気になるから。

 

――日本人には、隙が無いのね。

 

M:似たような話だと、休憩中の雰囲気が違う。日本人って、ずっと真面目でいるんだけど、ブルガリア人は休憩中に寝てたりする。そうなると、本番が変わってくるんだよね。日本人は本番でさらに実力を出そうとするんだけど、ブルガリア人は普段の伸びやかさみたいなものをむしろセーブする。必死というよりも、他所行きの顔をする。そうすると、余裕みたいなものが生まれるの。

 

――無いものは出せませんものね。違いも生まれてくるわけだ。それじゃ、留学中の様子について教えてもらっていいですか。

 

M:普段のサイクルとしては、午前中に語学のクラスがあって、午後にダンスの授業という感じ。ただ、授業の方は、私向けのカリキュラムじゃないんだ。だから、四年制の正規生が受ける授業に飛び入りするの。それも、入れるものと入れないものとがあって。振り付けを作る理論系の授業は対象外だった。事実、入学直後に見学してみたけど、しんどくて。

 

――なんでなんで?

 

M:この手の授業は、ディスカッションがメインだから、渡航してきたばかりの私には内容がちんぷんかんぷんなんだよね。だから「あ、無理だ」って、やめちゃった。それに、言葉が分かったとしても、興味を持てなかった気がするな。私はとにかく踊りたい人だから。それなのに、学校で優先されるのは理論系の授業。こっちに引きずられて実技は休講ばかりだったから、前期の半年は本当につまらなかった。月に2回しかないとか、信じられないよね。

 

――前期は停滞気味だったんですね。

 

M:後期はまあまあ楽しかった。先生にお願いして、対象外の授業に潜らせてもらったり。振り付けも作らせてもらえたし、発表会にも出たし。

 

――踊りの方は上達しましたか?

 

M:上達したかっていうと、全然。でも、目が肥えた

 

――目が肥えた?

 

M:理想像を知って、自分の求めるものが何か、明確に意識できるようになったの。良し悪しが分かるようになったというか。だから、自分で練習できるようになった。

 

――努力の方向性が見えるようになったんですね。

 

M:それまでは、東京に行けないことをすごくハンディキャップに感じていたんだけど、考えが変わったな。教室で教えてくれるのは、体の動かし方。でも、私が本当にやりたいことは、その先にあるもの、つまり、ブルガリアの踊りの持つエネルギーや個性、ブルガリア人の良くも悪くもてきとうなところやおおらかなところ、そういうものを表現することなんだ、って。そこが分かったという点で、本当に意味のある留学だったな。

 

<参考> Mさんのブログ

Mさんがブルガリア滞在中に書いていたブログ。気になる方はぜひ。医学生さんの方のブログは、頑張って見つけてください。

http://octopus99.hatenablog.com/

 

③に続く。

No.2:ブルガリア民族舞踊のダンサー①~【生い立ち】【ブルガリア民族舞踊との出会い】~

【はじめに】

*Mさんの基本情報*

京都大学大学院在学。2X歳。ブルガリア民族舞踊のダンサー。入学以来、京都大学民族舞踊研究会(KVK)で活躍。のめりこみ過ぎて、現地に1年間ダンス留学する。ついには舞踊団への内定さえもぎ取るが、まさかの内定取り消し。現在は身の振り方を検討中。

 

 

【生い立ち】

――もともとダンスが好きだったんですか?

 

M:小5から中3までバレエをやってたから、好きではあったかな。でも、高校の時にはもうやめてたから、ずっとしてたわけじゃない。

 

――高校の時は何部?

 

M:茶道部だった。ただ、小2から高2まで合唱をしてたから、メインはこっち。毎日練習が入ってた。

 

――それは、近所の教室とかだったんですか?

 

M:ううん、NHKの東京児童合唱団

 

――ガチじゃん。合唱感ないのに。すごい意外。

 

M:実は、ね。

 

――それが、高校2年まで? 受験を機にやめたってことですか?

 

M:児童合唱団が、小2から高2までだったんだ。

 

――「お前はもう児童じゃない」って?

 

M:そうそう。退団。卒団か。

 

――涙の卒団をしたと。そこでは、どういった活動を? どういった歌を歌うとか、どんなシーンで歌うとか。

 

M:年に1、2回発表会あって。それとは別に、番組のバックコーラスをしたり、合唱コンクールのモデル演奏をしたり。人によっては、オペラの子役に引っ張っていかれたり。だから、ほぼ常に、何かしらの出演が控えてた。

 

――それじゃあ、テレビにはかなり出てた?

 

M:声だけもあれば、顔出しの時も。

 

――紅白とか出ました?

 

M:私は機会に恵まれなかったけど、同期の子は「さかなさかなさかな」に出てた。

 

――あ~。

 

M:アンジェラアキの武道館コンサートには出たよ!

 

――それって、入るのは大変じゃないんですか? そもそも、なぜ入ろうとしたんですか? 親に連れて行かれた?

 

M:入団したきっかけは、小2の時、学校の担任がチラシをくれたから。ちょっと歌が好きだから、くらいの気持ちでオーディションに行ったの。そしたら、受かっちゃって。

 

――ちなみに、ピアノとかはしてたんですか?

 

M:それはない。

 

――じゃあ、音感があったとかってわけでもないんだ。

 

M:あ、でも私、絶対音感は持ってて

 

――???

 

M:母親がピアノの先生だったからかもしれない。

 

――それなのに、ピアノはしてなかった?

 

M:兄は教わってたんだけど。それでいいことないな、って思ったらしくて、姉と私には教えなかった。

 

――お兄ちゃん、グレちゃったんですか⁉

 

M:そんなことないけど。

 

――じゃあ、高校は合唱をやりながら、ゆるめの部活だった、と。

 

M:そう。合唱はデフォで週2だったけど、一番忙しいときは月に2回しか休みがなかった。

 

――週休二日どころじゃないですね。

 

M:それに合唱をやりながら、小3から中3まで習字、中学は吹奏楽、公文も行って、って感じで、常にいろいろなことをしてたから、そのうちの一つくらいとしか思ってなかった。

 

――バレエは週1?

 

M:バレエは週2、3。

 

――もはや働いてますね。

 

M:働き者だったんですよ、私。それこそスケジュールはビジネス手帳ばりに時間刻み。

 

――とはいえ、運動はしてなかったんですね。

 

M:水泳をちょっとだけ。だから、どっちかっていうと文化系だった

 

――そんな忙しいのにバレエを始めたのは、これまたなぜ?

 

M:友達の発表会を見に行って、やりたいなって。

 

――中学受験でしたっけ?

 

M:いや、受験は高校で。

 

――ということは、バレエは受験のタイミングでやめた、と。

 

M:戻る元気がなくなっちゃったから。バレエはもって生まれたものが大事なの。身体的な特徴というか、見た目が。それを常に意識させられることが辛かった。それに、小5から始めたのは遅かった。ハンデが乗り越えられなかったんだ。私がやるには厳しすぎた気がする。

 

ブルガリア民族舞踊との出会い】

――それでまた、なんで京大来たんですか?

 

M:東京は好きだったんだけど、一生東京っていうのもどうかと思って。成績が良くて、東大受けろって言われたんだけど、そういうのも嫌だったし。だから、北大とか長崎大とか、観光地にある大学ばかり考えてた。

 

――そして、入学、と。現役でしたっけ?

 

M:うん。

 

――「民族舞踊研究会」へは、どうして?

 

M:人前でパフォーマンスするのは好きだったの。それで、本当はバレエやりたかったんだけど、大学にはサークルがなくて。先生がいないとできないからね。代わりに、アイリッシュやろうと思って入った。入ってみたら、アイリッシュがなかった。

 

――あら。

 

M:資料はあったから、積極的に動けばできたんだろうけどね。何の知識もないまま自分でするエネルギーもなかったし、結局、みんなが踊っているのと同じものを踊っていた。

 

――ブルガリアとの出会いは?

 

M:一回生のあるタイミングで、先輩がデモを踊ることがあって、その時に混ぜてもらったらすごく楽しくて。それで、好きだなって。

 

――それ以来、ブルガリア一筋ですか?

 

M:ブルガリアは好きでずっとやってたけど、興味の幅が広いから、別の踊りにも絶えず触れてた。ハンガリーポーランド、中国。何でも。

 

――そもそも、サークルの中にはどういう踊りが?

 

M:アルメニアアゼルバイジャンスコティッシュカントリーダンス、マケドニアギリシャ、トルコ、ルーマニアセルビア、東欧いろいろ、フランス、イギリス、アメリカのラウンドダンス、スクエアダンス、日本の盆踊りも。

 

――そもそも、このサークルって、どういった団体なんでしょうか? サークルにひとつの踊りが導入される経緯とか、それから受け継がれていく流れとか、教えてもらえますか。

 

M:60年前くらいからあるサークルなんだけど。始めは、レパートリーも少なかったはず。ダンスは講習者を外部から呼ぶか、習ってきた人がサークルに持ち込むか。

 

――日本の盆踊りでも、「炭坑節」と「21世紀音頭」と、いくつか種類があるわけですけど、海外の伝統的なダンスにもいくつか曲があって、それぞれに振りが違うんですか

 

M:あるある。ブルガリアで言うと、大きく7つの地域があって、それぞれで曲の雰囲気が違う。これは、土地それぞれの風土を反映している印象。土地の豊かな東の方では、土をめでるような踊り方をしている。地面に近いの。土地がやせている西の方だと、地面をひたすら蹴っ飛ばしてる。

 

――なるほど、面白いですね。ただ、さっき僕の挙げた二つは「盆踊り」というカテゴリーの中での違いですけど、その七つはそれぞれ別の踊りということになりませんか

 

M:そうかも。日本にも「盆踊り」があって、「ソーラン節」があるよね。この捉え方の方が適切かも

 

――そのうえで、曲と踊りは一対一対応なんですか? 「炭坑節」は即興の振りとかないわけですけど

 

M:アドリブはあるよ。踊りには決められたモチーフがあるんだけれど、それを表現するのなら、対応する振りをどこで入れるかはある程度自由ハンガリーの踊りだと、男女ペアになって踊るんだけど、振りは完全に男性の主導なのね。女性はそれに合わせるの。

 

――そんなことできるんですか?

 

M:それができるの。すごいでしょ。体に染み込んでるから。

 

――染み込むまで練習するんですね。じゃあ、すべての踊りは一度きりの物なんだ。ジャズのセッションみたいに

 

M:そんなかんじ。

 

――なるほど。ところで、踊りって、そんなに次々踊れるようになるものですか? 事前に習熟はいらない?

 

M:運動神経がいい人の方が、身に着くのは速いかな。

 

――ご自身は、いい方ですか?

 

M:運動神経は、めちゃくちゃ悪い。ただ、どちらかというと見せることよりも楽しく踊ることを大切にするサークルだから、困ることはなかったよ。

 

――今でも、運動は苦手なほう?

 

M:いまでも、そう感じる。踊りは練習でカバーできるけど、日常生活の中では鈍いなって感じる。あんまり踊りと運動神経は関係ないかも。

 

――それなら、踊りと関係してくるのはどんな要素ですか

 

M:持論だけど、背中の使い方が綺麗かどうか。上手い人はみんなきれいなの。手とか足とか動かしてなくても、きれいに見える後姿ってあるじゃない。それと一緒。背中さえきれいに見せられたら、どんな踊りもきれいに踊れる。これは、普段から姿勢を意識していればよくなっていくところ。だから、やっぱり運動神経とはちょっと別物かな。

 

――普段からそんなこと意識してるんだ。プロだなぁー。

 

M:最近は、さぼり気味だけどね。

 

――とはいえ、今でもサークルの方へは行かれてるんですよね?

 

M:たまに顔出す程度かな。もう引退してるし。主に教える側なんだけど。

 

――いままで見てきた七年で、踊りの種類は増えてますか?

 

M:めちゃくちゃ増えてるよ。久しぶりに行くと、そのたびに知らない曲があるの。みんな、新しく来た曲に乗っかるから。前にあった曲は、逆に消えちゃう。

 

――サークルの中で、流行があるんだ。

 

M:次から次に、講習者呼ぶから。

 

――YouTubeを見て、とかではないんですね。

 

M:なくもないけどね。ただ、教えるのもなかなか大変。京大生って、この動きにはどんな意味があるのかとか、どこに力を込めればいいのかとか、いちいちめんどくさいから。

 

――黙って踊れよ、って?

 

M:そこまでは言わないけど、踊りを言語化することにこだわるのは好きじゃない。私が入ったころと比べて、今の子は、まず説明を求めがちな気がする。踊りは、踊りのままコピーしたらいいと思うんだけど。人から人に伝えるだけでも「翻訳」なわけだけど、言葉を介して二度も「翻訳」したら、ますます誤差が大きくなっていく気がする。

 

――能とかだと、何も考えずに真似しろ、って言いますものね。なるほど、頭でっかちなんだ。先輩としては、度し難い、と。

 

M:言わないけどね。

 

――さて、踊れるようになる、みんなで楽しく踊る、というサークルの中で、ご自身はすごく異色な存在じゃないですか? ストイックというか。

 

M:多分。

 

――やはり、少数派?

 

M:常に常に、って意識で基礎からやってる人は少ないかな。

 

――プロフェッショナルな意識は、みんなが持てるわけじゃないですものね。

 

M:私は、プロのやっていることを全部真似したい、同じ体を作りたい、って思ってる

 

――そこまで行くと、職業ですよね。遊びでやってるわけじゃない。

 

M:前に「教えてください」って、来てくれた子がいたんだけど、それを求めた瞬間、しばらく連絡が来なくなっちゃって。うふふふふ

 

――苦笑

 

M:私みたいになりたい、って言われて、すごくうれしくって。だから張り切っちゃった。私のやってる基礎練を一緒にやったんだけどね。

 

――一体、どんな恐ろしいことを求めたんですか。

 

M:バレエの練習みたいなのを、基礎の基礎から。プロの舞踊団の人がやってるのと同じことなんだけど。

 

――なるほど。それって、急に言われてできるものなんでしょうか。

 

M:ちょっと難しいかな(笑)

 

――大変なんだ……。つまり、バレエの積み重ねが生きた?

 

M:東欧のダンスって、基礎にバレエの要素を取り入れているから、舞踊団や留学先の練習についていく上で役にたった気がする

 

――そのうえで、バレエが生きてくるというのは、筋力なの? それとも体の動かし方のコツ、という点ですか?

 

M:後者かな。体の各パーツがどう連動するか、そのイメージをつかむっていうか。

 

――それがあるかないかは大きいですよね。で、それを彼女に一から叩き込もうとしたら、逃げられちゃったんだ。

 

M:うん。でも、舞踊団って、華やかに見えて普段の練習は基礎と繰り返しの地道な鍛錬だと思う。だから、最初から必要だと思う練習は全部やった。

 

――そんな甘くないぞ、って?

 

M:そうそう。

 

――にこにこしながら、怖いことしますね。

 

M:うん、にこにこしてた。

 

――……。

 

M:自分にも他人にもドSであることが、私のモットーだから

 

<参考> 京都大学民族舞踊研究会(KVK)

京都大学の文化系サークル。けっこうな歴史と伝統を誇るらしい。京都大学の文化祭であるNFでは、ランドマークである時計台・クスノキのふもとで輪になって踊っている。公式HPがあるので、気になる人はぜひ。

http://kvkhp.web.fc2.com/

 

②に続く

No.1:韓国人留学生③~【日本に来てがっかりしたこと】【留学前後で人生観は変わったか】~

 

【日本に来てがっかりしたこと】

――いいことばかりじゃなくて、想像と違った、なんてこともあったと思うんだけど?

 

S:いっぱいありますよ。そうだな、思っていたより街が汚いとか。

 

――どんなピカピカを想像してたんだよ。

 

S:それに、言うほど日本人は礼儀正しくなかった。失礼ってことじゃないけど。期待しすぎだったかな。あと、京大生が遊びすぎ。もうちょっと真面目に勉強しろよって思います。

 

――申し開きの仕様がございません。

 

S:京大つながりで言うと、京都大学にも幻滅しましたね。タテカン廃止したり、吉田寮を潰したり。あんまり自由じゃないな、って。

 

――ここ10年でだいぶ雰囲気が変わったよね。

 

S:あと、心の底から残念に思ったことも一つだけ。

 

――なになに?

 

S:セクハラです。韓国だったら絶対に許されないようなことがまかり通ってる。身の回りで嫌な思いをした子もいて、本当に腹が立ちました。

 

――韓国はセクハラに厳しいんだね。厳しいも何も、犯罪なわけだけど。それでも、儒教文化の影響とかを考えると、ちょっと意外かも。

 

S:ここ最近で急激に厳しくなってます。いまどきの若い女性は、超強いですよ。セクハラなんてやった日には血祭です。おじさん世代の意識はまだまだ遅れてますけどね。

 

――韓国って、思い切りがいいっていうか、一度決めたらその方面にゴリゴリ突き進むよね。IT化もそうだし、さっきの禁煙化にしたって。

 

【留学前後で人生観は変わったか】

――留学してから、何か自分の中で変化はあった? あるいは、見えてきたものとか。

 

S:これは韓国の大学に進学しても思ったかもしれませんが、自分は坊ちゃん育ちだったのかな、と。いろんな人に会って、その人達の境遇を知る中で、自分は結構恵まれていた気がして。習い事なんかもいろいろやらせてもらえたわけですし。それに、なによりも、今こうして外国にいる。

 

――生い立ちに関しては、僕も少なからずそういう気持ちになるな。

 

S:それに、自分が丸くなった気がします。もともと僕は保守主義的なところがあったんですけれど、それが変わりました。なんでもいいじゃん、って。

 

――それはずいぶん大きな変化だね。

 

S:日本人っぽくなったのかも。あと、自分の国籍にも、あまり思い入れがなくなりましたし。イメージとしては、外資系の銀行マンが近いかな。引き抜かれて職場を転々とする感じで。やめるのはそこが嫌いだからじゃないし、だからめぐり合わせ次第ではまた戻ってきてもいいと思っている、みたいな。所詮、国籍っていうのは、ある国家からサービスを受ける権利でしかありませんしね。でも、母親には「子供に韓国語を教えてほしい」と言われたので、ちょっと複雑なんですが

 

――すると疑問なのは、どうして徴兵から逃げないのかという事。国籍にこだわりがなくて、外国で生きていく語学力があるなら、それも頭をよぎるんじゃないかと思うのだけど。

 

S:理由はいくつかあるんですけどね。まずは、一貫性の問題かな。僕はずっと徴兵制を支持してきたので、自分の番が来たからには行かなきゃいけないと思っています。それに、徴兵逃れは、下手すると韓国に入国できなくなるんですよね。そうなると、親や兄弟、友達とは会えなくなっちゃう。さっき、国への思い入れはないと言いましたけど、人とのつながりはいつまでも大事にしたいと思っています。やっぱり、僕はあの場所で18年間生きてきたので。

 

――徴兵については韓国人に固有の問題だと思うんだけど、それに向き合うにあたっての気持ちにはシンパシーを感じるな。

 

S:人とのつながりってところでは、日本で出来た友人たちもとても大切です。当たり前ではあるんですけれど、留学しなければ会えなかったわけですし。日本人だけじゃなくて、いろんな国の人たちと仲良くなれました。留学して一番大きかったのは、やはりそこですね

 

――なるほど。いやぁ、今日は本当にありがとうね。とっても楽しかった。

 

ここで唐突に現れるマスター。

 

マスター:帰国するんだって? 元気でな!

 

S:ムキムキになって帰ってきます!

 

固い握手を交わす二人。

インタビューで使ったカフェは、S君の行きつけだったということです。

 

おわり

No.1:韓国人留学生②~【日本に来るまで】【日本に来てから】~

 

【日本に来るまで】

――S君はソウル生まれなんだっけ?

 

S:そうですね。厳密に言うと、そのちょっと郊外なんですけど、大体それくらい。

 

――教育熱心なお家だったのかな。

 

S:今考えると、そうだったんだろうな、と思います。両親とも大卒ですし、そこそこいい大学通ってたな、って。習い事も、やりたいって言ったものは全部やらせてもらえました。代わりに、死ぬ気でやれよ、って感じ。

 

――習い事はどんなことしてたの?

 

S:結構いっぱいありますよ。水泳、ピアノ、英語教室、日本語塾、合気道、剣道、サッカー、バスケかな。あと、小4から3年間習字教室にも通ってました。でも、実際に筆を使うのは月に一回とかで、実質漢字塾でしたね。

 

――いまの韓国って、ハングル全盛だと思ってたんだけど、まだまだ漢字を子供に教えるんだね。

 

S:いや、そんなことないかも。けっこうマニアックな習い事でした。中国や日本に関心がある人がやる程度かな。周りでやってる子とかはいなかったんですけど、僕はかなり頑張ってやって、漢検3級までいきました。受験会場は大人ばっかりだったな。あ、でも、この漢検は韓国独自のもので、日本のものとは別物です。

 

――そのころから、日本に興味があったってこと? あるいは、これを機に日本に興味を持ったのかな。

 

S:実は違うんですよね。ただこの時は、漢字書けたらかっこいいなって、ただそれだけで始めました。なので、あんまりそういうのはなかったです。もとから興味なかったし、きっかけにもならなかった。

 

――じゃあ、日本に興味を持ったきっかけって?

 

S:中学に上がったときに、仲良くなった友達が日本のアニメが大好きな子で。そいつに見ろよって言われて見ていたら、だんだん日本語で見たくなったっていうか、日本語が覚わってきたっていうか。この時にはすでに習字はやめていて、日本語の勉強はいったんおしまいのつもりだったんですけどね。このころに、日本語塾に通い始めました。

 

――子どもの通う日本語塾があるんだね。韓国では割とポピュラーなの?

 

S:実はこれ、塾っていうほどたいそうなものじゃないんですよね。公文っていえばわかりやすいかな。テキストは本社が作ってくれていて、それを使って地元のちょっと賢いおばさんが子供に勉強を教える、って感じ。しかも、おばさんは家まで来てくれます。なんだけど、半分素人なので、そのうち僕の方が日本語が上手になっちゃった。ゆるいですよね。それと、ポピュラーか、っていうと、あんまりポピュラーじゃなかったですね。同じラインナップの中国語の方は人気がありましたけど。

 

――公文おばさんが日本語を教えているのか……。

 

S:それから、短期の交流プログラムで愛知県の中学校に行ったんですけど、その時、周りより日本語を話せることが分かって。それでちょっと調子乗っちゃったところはありますね。公文も捨てたもんじゃなかったかな、って。

 

――それはモチベーションになるね。

 

S:一つだけ真面目な話をすると、日本語を勉強するモチベーションのなかには、僕なりの疑問がありました。それというのは、韓国では政治的なり教育的には反日的なところがあるんだけど、アニメみたいな文化的なところではすごく日本の評価が高いんです。そういうのって、なんか変っていうか、不思議だなって。日本語が分かるようになれば、そういうところにも答えが出せるような気がして

 

――そのあたりが日本への留学にまでつながっている?

 

S:それがまた、一筋縄ではいかないんですけどね~。

 

――人生って、そういうもんなんですかね。じゃあ、ざっくりそれまでの流れを教えてもらっていいかな? 前景まで知りたいから、小学校くらいから。

 

S:小中は地元の公立校に通っていました。そのころから、勉強はできた方でしたね。高校は、近所の公立校と私立校の両方に出願しました。このころには僕の住む地域では平準化が導入されていて、抽選の結果、私立校の方に合格しました。この学校、一昔前までは超進学佼として有名だったんですけど、僕が入ったころにはいまいち冴えない感じになってました。あと、全寮制だったし。

 

――全寮制!? それって、韓国では普通なの?

 

S:ぜんぜんそんなことないですよ。たまたまです。ただ、校則が厳しくて、スマホやゲームは一切禁止でした。外出も土日しかできないし。韓国の高校生ってみんな通塾するんですけど、平日に通えなくて不便極まりなかったなぁ。それに、寄宿舎も40人一部屋とかで、しんどかったし。勉強しろって、眠らせてもらえなかったし。それと比べれば、今の生活は夢のようですね。

 

――軍隊のようだ……。ちなみに、寄宿舎が別なのは当然として、それだと付き合ったりとかはNGなのかな。というか、ちょっと待てよ。まさかとは思うけど男子校?

 

S:いや、一応共学でしたよ。でも男女交際は、校則ではいけないってことになってましたね。一昔前だと、それがばれたら罰点が溜まって、親の呼び出しとか、停学とか、退学とか。いまどきはそんなことなくて、特に若い先生なんてリベラルだから、見て見ぬ振りでしたけど。露骨にいちゃついてる奴らがクラスにいて、そいつらに「チクるぞ」とか言ってネタにできるくらいには、有名無実化してました。

 

――そういう学校に通うなかで、いったいどうして留学を意識するようになったのかな。

 

S:実は、中学生の時に父が失業しちゃったんですよね。外資系の銀行に勤めてたんですけど、気持ちを切り替えようって転職したら、それがうまくいかなかったらしくて。だから、進学にあたって、お金のことは無視できなくなって。そういう事情から、最初は陸軍士官学校を考えました。なんといってもタダですから。一方で、日本語をやりたいという気持ちも強くありましたね。そうなると、経営系の学部で副専攻するのが現実的でした。父の仕事柄、経営系の学部にはもともと興味があったし、そんなに悪くないかな、って。なんで、はじめはソガン大学を目指してました。日本で言うと一橋みたいなところです。

 

――なるほど。ところが?

 

S:よく考えたら、日本の大学の経済学部に通えば全部解決じゃん、って。試験問題を見てみたら、いけそうな気がしたし。それに、留学生は授業料免除が通ることが多いので、結果的には韓国の国立大学に通うよりも安くなるんですよね。それなら、学費の問題もクリアできそうだな、と。これが、高校2年生のころかな。そこで、韓国の大学に入るための勉強はやめて、留学塾に通い始めました。

 

――すると、周りとは全然違う勉強をしていた?

 

S:そうなんですよね。僕はすごくラッキーでした。というのは、たまたま高校の先生で、娘さんを日本に留学させたがっていた人がいたんですけど、娘さんは嫌がって韓国の大学に進学してしまったらしくて。それで、留学のことを相談に行ったら、すごくよくしてくれました。おかげで、僕は高校の授業中に、ずっと日本語の勉強をしていられました。席も教室の一番奥にしてもらっちゃって。

 

――そうして、留学への道をひた走ったのね。じゃあ、実際の受験はどんな感じだった?

 

S:さっきも言ったように、東京大学京都大学一橋大学、慶応大学、早稲田大学を受けました東京大学は書類で落ちて、あとは受かりましたね。もともとは一橋志望だったんですけど、塾長がダメ元で出してみろというので出してみたら、京大も受かっちゃった。そんなこんなで今通ってます。

 

――ノリが軽い……。

 

【日本に来てから】 

――ついに日本にやってきましたね……

 

S:長かった。

 

――日本に来てみて、驚いたことや思い出深いことってあるかな。

 

S:日本に来て初めて話した相手っていうのが、掃除のおじさんだったんですけど、「銀行どこですか」って聞いたら、「あんた東京から来たの?」って。春先だったので、下宿に越してきたばかりの京大生だと思ったんでしょうね。まぁ、外れてもいないわけですけど。内心ガッツポーズしました。

 

――それはクるものがあるね。

 

S:あと、飲食店でタバコが吸えることに驚きました。

 

――韓国では吸えないんだっけ?

 

S:室内でタバコに火をつけたら、ボコボコにされます

 

――それは。

 

S:先輩に連れられて始めてお店に入ったとき、目の前でふかし始めたのでびっくりしました。あと、これは別の時なんですけど、テーブルに灰皿がなかったので、外に出てタバコを吸ってたら、店員さんに「お願いだから、店の中で吸ってください」って言われて。なんじゃそれ、って思いました。

 

――最近は日本も禁煙化していくみたいだけど。韓国も昔はそんなことなかったでしょ?

 

S:ここ10年くらいで急激に禁煙化しました。僕が小学生くらいの時って、ネットゲームが大流行してたんですよね。それで、ネットカフェに行ってゲームするんですけど、そのころはまだまだネットカフェでタバコが吸えたんですよね。なので、ゲームして家に帰ると、服がタバコ臭くなってて。それで、母親に「あんた、こそこそタバコ吸ってるんじゃないわよ」って怒られるんですよね。「吸ってねーよ」って。これ、当時はあるあるでした。

 

③に続く

No.1:韓国人留学生①~【韓国の教育制度】【留学生試験の制度】~

これからたくさんの人にインタビューしていこうと思うわけですが、初っ端から見知らぬ人のところへ突撃するのもアレだったので、まずは身近な人に話を聞いてみることにしました。そこで思いついたのが、京大生への取材森見登美彦先生の小説なんかでショーアップされてしまっているからか、世間で「京大生」といえば、珍奇な連中の代名詞みたいになっている印象です。在学する身としては「別に?」って感じですが、そうは言いつつ、面白そうな人がたくさんいるような気がするのもまた事実。鳥人間とか、パズルオタクとか、天才プログラマーとか。まぁ、そこまで「いかにも」でなくたって、つつけば面白いことが出てきそうな人はたくさんいそうです。全国から学生が集まっているので、47都道府県出身者耐久インタビューリレーとかもできたら面白いかなぁ、って。

なにはともあれ、記念すべき第一回は、僕の友人でもある韓国人留学生のS君をゲストにお送りしたいと思います

 

 

 【はじめに】

*Sくんの基本情報*

京都大学在学。20歳。韓国人留学生。日本語のレベルはネイティブ並み。というか、そこらの日本人よりできる。主食はニコチン、カフェイン、アルコール。

 

――今日はよろしくお願いします。

 

S:こちらこそ。

 

――兵役で帰国する前日に、わざわざ時間を作ってくれてありがとうね。片付けで忙しいだろうに……。

 

S:ほんと気にしないでください。どうせ今夜は徹夜で飲み会なんで

 

――(‘Д’)

 

<参考> 韓国の徴兵

1950年に勃発した朝鮮戦争は名目上現在も続いており、そのため今なお韓国では徴兵制が敷かれている。基本的に国民の全男子が兵役義務を負い、満19歳になると徴兵身体検査を受ける。兵役期間は従来2年ほどだったが、2017年に当選した文在寅大統領によって、2018年10月から段階的な短縮が行われ、所属先によって18~22か月となった。大学生は24歳まで入隊を延期できるので、在学中に休学して軍隊に行くケースが多い。上官のいじめや自殺、兵役逃れは社会問題になっている。

 

【韓国の教育制度】

――話が前後するんだけど、まず始めに、韓国の教育制度について教えてもらえる? 例えば、修学年数とか。

 

S:韓国の就学年数は、基本的に日本と同じです。小学校が6年、中学校が3年、高校が3年、大学が4年ですね。

 

――日本と違うところって、どんなところかな?

 

S:けっこうありますよ。そうですね。日本だと、教育熱心な家庭の子供は小学校や中学校から私立の進学校に通うと思うんですけど、韓国はあんまりそういうことがないです。受験が激化するのは高校入学のときからですね。あ、でも最近は高校入学についても平準化されてきているので、結局は大学受験一発勝負かな。

 

――平準化ってなに?

 

S:高校入学が試験じゃなくて応募者の抽選で決まるシステムです。高校間に差がつくのを防ぐのが狙いで導入されたらしくて。僕はちょうどその過渡期に高校入学だったんですよね。個人的にはあんまり賛成じゃないんですけど。あと、そうは言いつつ内申点は見てるらしいので、完全な抽選じゃないっぽいです。

 

――なるほどね~。韓国の大学受験は熾烈って聞くけど、だからこそなるべくフェアな競争

にしようってことなのかな。

 

S:そうかもしれませんね。韓国の大学受験はマジでやばいです

 

――じゃあ、その大学受験について教えてもらっていい? 受験の流れとか、科目とか。

 

S:韓国の大学受験では、三つの指標で点数が付きます。高校の内申点、共通試験、個別試験です。

 

――なるほど。大学受験に至ってまで内申点があるんだね。アメリカ的だな……。

 

S:内申点は、高校内の席次に応じて1級から9級までの9段階評価です。たしか1級は上位4%だったかな。ソウル大は、3級以下じゃ受からないって聞きますね。

 

――ん? ちょっと待てよ。内申点って、絶対評価じゃなくて、相対評価な訳だよね? だとすると、学校Aで2級の人が、学校Bで1級の人より学力が高い、なんてこともあり得るわけ?

 

S:はい。なので、受験を見越してわざとレベルの低い高校に入る人もいます

 

――うひゃぁ。

 

S:共通試験はマーク式の400点満点です。センター試験みたいな感じですね。これまた、ソウル大を引き合いに出しますが、あそこは396点以上じゃないと厳しいって聞きました。

 

――なんだそれは。正答率99%以上じゃないか。頭オカシイのか。

 

S:頭オカシイっすね。で、ここが重要なんですけど、日本のセンター試験は国立大学の受験に必須というだけですよね? でも韓国では違います。韓国は私立大学のプレゼンスが大きいので、この試験は私立大学志望者も含めて、全大学進学希望者が避けては通れないんです。

 

――それは、過酷だ……。

 

S:で、個別試験は小論文みたいな感じです。同じ大学でも、学部ごとに問題が違います。これが突破出来たら合格です。突破出来たら。

 

――突破できないと?

 

S:浪人っすね。

 

――韓国の受験制度にも浪人はあるんだね。

 

S:ありますよ。ソウル大なんて、半分以上浪人じゃないかな。それと、さっき学部の話をしましたけど、韓国では学部の選択がマジに大事です。同じ大学でも学部間に明確にヒエラルキーがあって、就職のときはここも見られます。文系に限って言えば、上から経営、経済、政治、社会、外国語って感じですね。あ、で最底辺が文学部です。哲学とか。昔高校に財閥企業の人事の人が来てたんですけど、ES見たら文学部の学生だったんで、速攻捨てたって言ってました。それよりは、1ランク下の大学の経営系の学生採るって。

 

――どっひゃー。

 

S:学部を見ずに、なんのスキルもない学生を新卒で採る日本とは大違いですよね。

 

――ぶっちゃけ、ワールドスタンダードから見たら、普通なのは韓国だよね。日本が変なだけで。文学部の学生だって、銀行マンになれちゃう。

 

S:うらやましいです。韓国で文学部になんか進学したら、ソウル大卒でもお先真っ暗ですよニートになって死ぬか、研究者になって死ぬか。どのみち、死あるのみ、みたいな。あ、それと、言い忘れてたんですけど、韓国の上位大学には法学部がありません。代わりにロースクールが設置されてます。

 

――なるほど。そういえば、さっきの学部ヒエラルキーの中に法学部がなかった。そこらへんは日本と違うね。いよいよ、アメリカっぽい。

 

<参考> 韓国の高校

これについては、

国立教育政策研究所紀要』 第145集(平成28年3月)

http://www.nier.go.jp/03_laboratory/kankou_kiyou_145.html

に詳しい。ここでは概要を述べる。

韓国では高校卒業まで学力による選抜は行われず、入学者は各校へと抽選によって振り分けられる。この「平準化」は、激しい受験戦争の反省から行われたもので、1970年代に施行された(ただし、義務教育でない高校については、特に定められた地域でのみ)。また、「平準化」への反発から、1983年以降普通高校とは別に特殊目的校(特目校)が導入された。これらは科学、外国語等、才能教育を目指すもので、普通高校とは異なり、独自に入学者を選抜することができる。徳目校は有名大学進学者を多数輩出するため、結果的に進学校化している。

 

<参考> 韓国の大学受験

韓国の大学入試における共通試験は「大学修学能力試験」と呼ばれる。解答はマークシート方式。科目は国語、数学、英語、韓国史&社会・科学・職業探求領域、第二外国語/漢文領域。試験会場は男女別である。開催当日は、パトカーやヘリコプターによる受験生の輸送、交通規制や警笛の禁止などが行われ、国ぐるみのイベントとしてあまりにも有名である。というのも、科挙文化の流れを汲む韓国社会では、大学受験がその後の人生を大きく左右するからである。凄惨な競争に身を投じる若者たちを、大人たちが最大限バックアップしようとするのである。なお、浪人生は「再修生」と呼ばれるが、兵役の関係から、男性はこれを嫌う傾向にある。

 

【留学生試験の制度】

――じゃあ、次は留学生試験の制度について教えてもらっていい?

 

S:日本の留学生試験は二つの指標で点数が付きます。書類審査と、個別試験です。書類審査というのは、高校の内申点、共通試験の点数、英語の外部試験のスコアによって行われます。ただし、このなかのどれをどのくらい重視するかは、各大学で違ってきます。内申点を見ない大学もあるし、英語試験がTOEFLだけじゃなくてTOEICも可な大学もあります。

 

――なるほど。

 

S:話が前後してしまいましたが、共通試験について説明しますね。これは、マーク式のテストなんですが、文系の場合、数学、総合問題、日本語の三科目です。

 

――総合問題って、なんだ。

 

S:なんか、雑学みたいなことを聞かれました。さて、これらの点数が高ければ、書類審査は通過です。個別試験は上位校の場合、韓国に出張してくれないので、自腹切って日本まで行かなくてはいけません。ほとんどの場合は小論文が課されます。場合によっては面接も。これを突破すれば合格です。ちなみに、日本の一般受験では国立大学は前期後期それぞれ1校しか受験できませんが、留学生試験の場合、何校にでも出すことができます。僕は東京大学京都大学一橋大学に出願しました。

 

――わーお。

 

S:おもしろいのが、早稲田大学は一般受験の日に前期留学生試験があるのですが、ここで留学生も一般受験の入試問題を解かされます。難しかったんで落っこちちゃいました。

 

――急にあれは解けないよねぇ……。

 

S:ちょっとへこんだんですけど、後期入試は書類だけだったんで、そっちで通りました。どや。

 

――はーい。

 

<参考> 日本の留学生試験

日本に留学を希望する外国人が受験する共通テストが、「日本留学試験」である。科目は、日本語と理科、総合科目(社会科系統合問題)、数学から二つ。日本語の記述式問題以外はマークシート方式である。

 

②に続く。

ブログをはじめてみようかな、と。

京都大学に入学して、早三年。

パソコンの液晶に映る自分の受験番号を目にして、俺は無敵だぁぁぁっと叫んだのも、今では遠い昔になりました。

思えば、あの時が人生のピークです。

 

 

思っていたほど降ってこない単位を、ひぃひぃ言いながら集めているうちに、3回生になり、と思ったら就活が始まりました。

合同説明会のあの異様な雰囲気や、ESの「学生時代に頑張ったこと」に辟易した僕でしたが、唯一OB訪問だけは楽しくすることができました。

社会人から、知りたいことや関心がある事について教えてもらう時間は、就職活動の枠を超えて、自分の人生に何か有意義なものを与えてくれる気がしました。

それに、気の利いた質問をすると非常に喜んでもらえて、これがまたうれしかった。

そんなわけで、僕の就職活動は、「とにかく社員に会って話してみる」スタイルに落ち着きました。

これをなんども繰り返すうちに、思い出したことがありました。

それは、自分がものすごく好奇心が強いこと。それに、人の話を聞くことが好きなこと。

俺、インタビュアーになりたいわ

唐突に、そんな考えが浮かびました。

 

結構いいアイディアな気がしました。

やりたいこと、という意味では、これほど僕に向いている仕事もないかもしれません。

人と話して、好奇心を満たして、お金までもらえるとしたら、夢のようだな、と思いました。

大当たりしたら、黒柳徹子の後釜に収まるのは僕かもしれません。

これなら、是非仕事にしたい。

やる気がもりもり湧いてきました。

また、一人で仕事が出来そうなのも魅力的でした。

組織の中で働くわずらわしさや、一人で食べていけるか否か、といった問題については、社会人と会えば会うほどリアリティが増してくるところだったので。

 

そんなこんなで、とりあえず動き出してみようかな、と始めたのが当ブログです。

善は急げ。思い立ったが吉日。考えるな、感じろ。

勢い任せに作ってみました。

ジャンルを問わず人に会ってみて、そのインタビュー記事を掲載していきたいと思います。

考えてみれば、インタビュー記事が結集したプラットフォームって、ありそうでないでような気がします。

それこそ、就活サイトの読み物欄くらいがせいぜいでしょうか。

網羅性を獲得するところまで成長すれば、このブログも結構使い出のあるものになるのかなぁ、と淡い期待を抱いています。

期待というか、取らぬ狸のなんとやら、でしょうか。

まぁ、いずれにせよ、頑張り方次第では僕の人生にとって結構意義深い活動になりそうです。

 

生来、熱しやすく冷めやすいたちなので、いつまで続くかわかりませんが、ゆるーく応援いただければ幸いです。