京大生、人に会う

現役京大生がいろいろな人に会って、そのインタビュー記事を載せるブログです。

No.2:ブルガリア民族舞踊のダンサー②~【ブルガリアに行くまで】【ブルガリア留学】~

 

ブルガリアに行くまで】

――いまでこそ、こんな感じですけど、そのプロフェッショナリティは初めからあったわけじゃないですよね。一回生の時に、ブルガリアに出会って、だんだん醸成されていったというか、のめりこんでいったという感じで。その過程について、聞かせてください。

 

M:さっきも言ったみたいに、うちのサークルは楽しく踊ることを大切にしているんだけど、ブルガリアを知って、何度かデモを踊るうちに、もっと上達したいって感じるようになっちゃって。一人でメラメラしてたっていうか。それで、ある時東京の教室に行ってみたの。帰省するついでに。

 

――世の中には、ブルガリアの踊りを教えるために教室まで開く変態がいるんですか

 

M:教え方も変態なんだよね。さっきの「基礎」はここの先生に教わったんだけど。ともかく、それで火が付いた。あと、同時期に、ブルガリアのなかでも一番好きな地域のダンサーが来日してくれて。その人たちの教え方がすごくドSで、楽しくって。それでも火がついたの。

 

――Mなんじゃないの

 

M:いやいや、ドSだもん

 

――それがいつごろ?

 

M:2回前期かな。

 

――それでそれで?

 

M:ブルガリアしかない、って思ったのは、その年の夏空け。京大に入ると、たいていの人は多かれ少なかれ、自分の個性の無さに悩むじゃない? このころ、まさにそういう気持ちがいくとこまでいっちゃったの。私は、なんの特徴もない、無難な人なんじゃないか、って

 

――(あんたがそれを言うのか)

 

M:サークルでは、先輩から教わった踊りを、そのまま後輩に伝えるってことをするんだけど、当時、私の教え方が無難だって言われちゃって。結構傷ついたっていうか、コンプレックスにグサッ、って。当時の彼にも、「お前のアイデンティティはなんだ? お前はつまらん」って、ボコボコにされて。

 

――すげえ彼氏だ

 

M:変な人だったなぁ。それで、すごく頭にきて、すごくへこんで。私のアイデンティティブルガリアだ、って無理してでも思いこむようになった

 

――それから?

 

M:3回生の一年は、特に変化もなくて、こつこつ練習してたんだけど、4回生の時に、両親が東京の家を引き払ったり、研究室配属があったりして、おいそれと例の教室に行けなくなっちゃったの。それに、ちょうどその教室を紹介してあげた後輩が、この子も実家が東京なんだけど、みるみる上達していて、すごく悔しくて。焦った。上達できないまま置いて行かれるのは耐えられない、って。そう思ううちに、ダンス留学を考えるようになった

 

――(いや、考えねえよ)

 

M:それで、大学院はブルガリアで通いたいって言ったら、親に大反対されて。さすがに諦めた。仕方ないから院進したの。だけど、ブルガリアのことが頭から離れなくて。いいな、いいな、って。それで、フェイスブックで講師の人達のページを見てたら、みんなが卒業しているアカデミーがある事に気づいた

 

――おおっ!

 

M:調べてみたら、1年間の留学生を受け入れてて。それで、ここだな、って。で、修士1年の夏から行くことにした。

 

――ダンス留学……

 

M:さっきの後輩は東京には行けるけど、文系だから就職しなくちゃいけない。でも、院に行く私はまだまだ大学生ができて、その時間を使ってブルガリアまで行けるんだ、って思った。それに、周りを見渡してみたら、サークルの同期は半分くらい留年してたの。それを見て、私って、これまでそこそこ真面目にやってきたんだな、って思って。だから、一年くらいならわがまま言ってもいい気がした。あと、これは言い忘れてたんだけど、私は3回生と4回生の夏にそれぞれ一度ブルガリアに行ってるんだ。当時は、老後に住みたいな、なんて思うくらいだったんだけど、改めて真剣に考えてみたら、そんな悠長な気持ちにはとてもなれなくて。だから、とりあえず今すぐ行かなきゃ、って。

 

ブルガリア留学】

――ざっくり感想としては?

 

M:学校に行ってみて、自分のやってきたことが意外と通用したことに驚いた。お世辞ではあるにせよ、「日本人なのにこんなに踊れてすごい」って、褒めてもらえて。それで、国籍とは関係なしに「こんなに踊れてすごい」って言われたくて、また闘志が燃えた。そんな風に頑張っていたら、帰るころには、「残って、もっと一緒に踊ろうよ」って声をかけてくれる人もいて。舞踊団に入って、ダンサーとして暮らしていけたらどんなにいいだろう、って考えたのも留学中。以前から、パフォーマーになることは夢見ていたんだけれど、これはあくまで夢でしかなかった。だけど、ブルガリアで過ごすうちに、気付けばこの夢がリアリティを帯びるようになってきて。手を伸ばせば、すぐ届く場所にあるぞ、って。ダンサーになりたいと明確に思うようになった

 

――なるほどね。そのあたりは後でじっくり伺うとして、まずは現地でのことを。そもそも言葉が分からないんですよね?

 

M:そうね。でも、踊りのいいところは、話さなくても見たら真似できるところ。始めのうちは時間割が分からなくて苦労したけど、その程度かな。先生の注意なんてシンプルだし。高くとか強くとか。

 

――他にブルガリアへ留学した人の話って、聞いたことあります?

 

M:医学部は、現地の大学と提携してるらしいよ。ちなみに、滞在中に「ブルガリア留学記」ってブログを書いてたんだけど、私が帰ってきたころに、同名のブログができて、それが医学部から行った人のものだった。真似されたのか……⁉、って

 

――タイトルが被った……。

 

M:ブルガリアに留学したら、この名前になるのは仕方ないけどね。

 

――行った先に、他の留学生はいましたか?

 

M:音楽科にはギリシャ人が5、6人いたかな、いつの間にか何人かいなくなってたけど。でも、ダンス科は私1人だった。それに、先方も日本人なんて受け入れたことがないから、もて余すようなところがあったな。

 

――現地には日本の人っていました?

 

M:ほとんど接触してないかも……。そういえば、旦那さんがトルコにいるって人に、街中で出会ったよ。あとは、カウチサーフィンで何人かと。本当に、そのくらい。

 

――語学留学のあるべき姿ですね。お住まいはどちらに?

 

M:寮だった。ただ、市の施設だったから、いろんな大学の人がいて。

 

――ごめんなさい、今更なんですけど、留学してたのはソフィアですか?

 

M:プロヴディフっていう、中央部の都市。国内で二番目の大きさなのかな。

 

――そこにあるアカデミーってことは、その地方の踊りだけを教えてる?

 

M:そんなことはなくて、全地方の踊りを教えてる。ただ、どんな劇団やアカデミーでも、やっぱり所在地域の踊りが一番得意。それに、地域によって体のつくりが違うの。だから、同じ踊りを踊っても雰囲気が変わってくる。同じ国内でもそうだから、当然日本人とブルガリア人の違いはもっと大きいよ。

 

――それはどんなふうに?

 

M:どれだけ同じ動きをしようと思って真似しても、細かいところで違いが出てくるんだ。全く同じ振りをしていても、ブルガリア人は指先がばらける。その少し脱力した感じが綺麗なの。逆に、日本人はかっちり揃える。見てて楽しいのは、ちょっと遊んでる方。女性の隙は色気になるから。

 

――日本人には、隙が無いのね。

 

M:似たような話だと、休憩中の雰囲気が違う。日本人って、ずっと真面目でいるんだけど、ブルガリア人は休憩中に寝てたりする。そうなると、本番が変わってくるんだよね。日本人は本番でさらに実力を出そうとするんだけど、ブルガリア人は普段の伸びやかさみたいなものをむしろセーブする。必死というよりも、他所行きの顔をする。そうすると、余裕みたいなものが生まれるの。

 

――無いものは出せませんものね。違いも生まれてくるわけだ。それじゃ、留学中の様子について教えてもらっていいですか。

 

M:普段のサイクルとしては、午前中に語学のクラスがあって、午後にダンスの授業という感じ。ただ、授業の方は、私向けのカリキュラムじゃないんだ。だから、四年制の正規生が受ける授業に飛び入りするの。それも、入れるものと入れないものとがあって。振り付けを作る理論系の授業は対象外だった。事実、入学直後に見学してみたけど、しんどくて。

 

――なんでなんで?

 

M:この手の授業は、ディスカッションがメインだから、渡航してきたばかりの私には内容がちんぷんかんぷんなんだよね。だから「あ、無理だ」って、やめちゃった。それに、言葉が分かったとしても、興味を持てなかった気がするな。私はとにかく踊りたい人だから。それなのに、学校で優先されるのは理論系の授業。こっちに引きずられて実技は休講ばかりだったから、前期の半年は本当につまらなかった。月に2回しかないとか、信じられないよね。

 

――前期は停滞気味だったんですね。

 

M:後期はまあまあ楽しかった。先生にお願いして、対象外の授業に潜らせてもらったり。振り付けも作らせてもらえたし、発表会にも出たし。

 

――踊りの方は上達しましたか?

 

M:上達したかっていうと、全然。でも、目が肥えた

 

――目が肥えた?

 

M:理想像を知って、自分の求めるものが何か、明確に意識できるようになったの。良し悪しが分かるようになったというか。だから、自分で練習できるようになった。

 

――努力の方向性が見えるようになったんですね。

 

M:それまでは、東京に行けないことをすごくハンディキャップに感じていたんだけど、考えが変わったな。教室で教えてくれるのは、体の動かし方。でも、私が本当にやりたいことは、その先にあるもの、つまり、ブルガリアの踊りの持つエネルギーや個性、ブルガリア人の良くも悪くもてきとうなところやおおらかなところ、そういうものを表現することなんだ、って。そこが分かったという点で、本当に意味のある留学だったな。

 

<参考> Mさんのブログ

Mさんがブルガリア滞在中に書いていたブログ。気になる方はぜひ。医学生さんの方のブログは、頑張って見つけてください。

http://octopus99.hatenablog.com/

 

③に続く。