京大生、人に会う

現役京大生がいろいろな人に会って、そのインタビュー記事を載せるブログです。

No.1:韓国人留学生②~【日本に来るまで】【日本に来てから】~

 

【日本に来るまで】

――S君はソウル生まれなんだっけ?

 

S:そうですね。厳密に言うと、そのちょっと郊外なんですけど、大体それくらい。

 

――教育熱心なお家だったのかな。

 

S:今考えると、そうだったんだろうな、と思います。両親とも大卒ですし、そこそこいい大学通ってたな、って。習い事も、やりたいって言ったものは全部やらせてもらえました。代わりに、死ぬ気でやれよ、って感じ。

 

――習い事はどんなことしてたの?

 

S:結構いっぱいありますよ。水泳、ピアノ、英語教室、日本語塾、合気道、剣道、サッカー、バスケかな。あと、小4から3年間習字教室にも通ってました。でも、実際に筆を使うのは月に一回とかで、実質漢字塾でしたね。

 

――いまの韓国って、ハングル全盛だと思ってたんだけど、まだまだ漢字を子供に教えるんだね。

 

S:いや、そんなことないかも。けっこうマニアックな習い事でした。中国や日本に関心がある人がやる程度かな。周りでやってる子とかはいなかったんですけど、僕はかなり頑張ってやって、漢検3級までいきました。受験会場は大人ばっかりだったな。あ、でも、この漢検は韓国独自のもので、日本のものとは別物です。

 

――そのころから、日本に興味があったってこと? あるいは、これを機に日本に興味を持ったのかな。

 

S:実は違うんですよね。ただこの時は、漢字書けたらかっこいいなって、ただそれだけで始めました。なので、あんまりそういうのはなかったです。もとから興味なかったし、きっかけにもならなかった。

 

――じゃあ、日本に興味を持ったきっかけって?

 

S:中学に上がったときに、仲良くなった友達が日本のアニメが大好きな子で。そいつに見ろよって言われて見ていたら、だんだん日本語で見たくなったっていうか、日本語が覚わってきたっていうか。この時にはすでに習字はやめていて、日本語の勉強はいったんおしまいのつもりだったんですけどね。このころに、日本語塾に通い始めました。

 

――子どもの通う日本語塾があるんだね。韓国では割とポピュラーなの?

 

S:実はこれ、塾っていうほどたいそうなものじゃないんですよね。公文っていえばわかりやすいかな。テキストは本社が作ってくれていて、それを使って地元のちょっと賢いおばさんが子供に勉強を教える、って感じ。しかも、おばさんは家まで来てくれます。なんだけど、半分素人なので、そのうち僕の方が日本語が上手になっちゃった。ゆるいですよね。それと、ポピュラーか、っていうと、あんまりポピュラーじゃなかったですね。同じラインナップの中国語の方は人気がありましたけど。

 

――公文おばさんが日本語を教えているのか……。

 

S:それから、短期の交流プログラムで愛知県の中学校に行ったんですけど、その時、周りより日本語を話せることが分かって。それでちょっと調子乗っちゃったところはありますね。公文も捨てたもんじゃなかったかな、って。

 

――それはモチベーションになるね。

 

S:一つだけ真面目な話をすると、日本語を勉強するモチベーションのなかには、僕なりの疑問がありました。それというのは、韓国では政治的なり教育的には反日的なところがあるんだけど、アニメみたいな文化的なところではすごく日本の評価が高いんです。そういうのって、なんか変っていうか、不思議だなって。日本語が分かるようになれば、そういうところにも答えが出せるような気がして

 

――そのあたりが日本への留学にまでつながっている?

 

S:それがまた、一筋縄ではいかないんですけどね~。

 

――人生って、そういうもんなんですかね。じゃあ、ざっくりそれまでの流れを教えてもらっていいかな? 前景まで知りたいから、小学校くらいから。

 

S:小中は地元の公立校に通っていました。そのころから、勉強はできた方でしたね。高校は、近所の公立校と私立校の両方に出願しました。このころには僕の住む地域では平準化が導入されていて、抽選の結果、私立校の方に合格しました。この学校、一昔前までは超進学佼として有名だったんですけど、僕が入ったころにはいまいち冴えない感じになってました。あと、全寮制だったし。

 

――全寮制!? それって、韓国では普通なの?

 

S:ぜんぜんそんなことないですよ。たまたまです。ただ、校則が厳しくて、スマホやゲームは一切禁止でした。外出も土日しかできないし。韓国の高校生ってみんな通塾するんですけど、平日に通えなくて不便極まりなかったなぁ。それに、寄宿舎も40人一部屋とかで、しんどかったし。勉強しろって、眠らせてもらえなかったし。それと比べれば、今の生活は夢のようですね。

 

――軍隊のようだ……。ちなみに、寄宿舎が別なのは当然として、それだと付き合ったりとかはNGなのかな。というか、ちょっと待てよ。まさかとは思うけど男子校?

 

S:いや、一応共学でしたよ。でも男女交際は、校則ではいけないってことになってましたね。一昔前だと、それがばれたら罰点が溜まって、親の呼び出しとか、停学とか、退学とか。いまどきはそんなことなくて、特に若い先生なんてリベラルだから、見て見ぬ振りでしたけど。露骨にいちゃついてる奴らがクラスにいて、そいつらに「チクるぞ」とか言ってネタにできるくらいには、有名無実化してました。

 

――そういう学校に通うなかで、いったいどうして留学を意識するようになったのかな。

 

S:実は、中学生の時に父が失業しちゃったんですよね。外資系の銀行に勤めてたんですけど、気持ちを切り替えようって転職したら、それがうまくいかなかったらしくて。だから、進学にあたって、お金のことは無視できなくなって。そういう事情から、最初は陸軍士官学校を考えました。なんといってもタダですから。一方で、日本語をやりたいという気持ちも強くありましたね。そうなると、経営系の学部で副専攻するのが現実的でした。父の仕事柄、経営系の学部にはもともと興味があったし、そんなに悪くないかな、って。なんで、はじめはソガン大学を目指してました。日本で言うと一橋みたいなところです。

 

――なるほど。ところが?

 

S:よく考えたら、日本の大学の経済学部に通えば全部解決じゃん、って。試験問題を見てみたら、いけそうな気がしたし。それに、留学生は授業料免除が通ることが多いので、結果的には韓国の国立大学に通うよりも安くなるんですよね。それなら、学費の問題もクリアできそうだな、と。これが、高校2年生のころかな。そこで、韓国の大学に入るための勉強はやめて、留学塾に通い始めました。

 

――すると、周りとは全然違う勉強をしていた?

 

S:そうなんですよね。僕はすごくラッキーでした。というのは、たまたま高校の先生で、娘さんを日本に留学させたがっていた人がいたんですけど、娘さんは嫌がって韓国の大学に進学してしまったらしくて。それで、留学のことを相談に行ったら、すごくよくしてくれました。おかげで、僕は高校の授業中に、ずっと日本語の勉強をしていられました。席も教室の一番奥にしてもらっちゃって。

 

――そうして、留学への道をひた走ったのね。じゃあ、実際の受験はどんな感じだった?

 

S:さっきも言ったように、東京大学京都大学一橋大学、慶応大学、早稲田大学を受けました東京大学は書類で落ちて、あとは受かりましたね。もともとは一橋志望だったんですけど、塾長がダメ元で出してみろというので出してみたら、京大も受かっちゃった。そんなこんなで今通ってます。

 

――ノリが軽い……。

 

【日本に来てから】 

――ついに日本にやってきましたね……

 

S:長かった。

 

――日本に来てみて、驚いたことや思い出深いことってあるかな。

 

S:日本に来て初めて話した相手っていうのが、掃除のおじさんだったんですけど、「銀行どこですか」って聞いたら、「あんた東京から来たの?」って。春先だったので、下宿に越してきたばかりの京大生だと思ったんでしょうね。まぁ、外れてもいないわけですけど。内心ガッツポーズしました。

 

――それはクるものがあるね。

 

S:あと、飲食店でタバコが吸えることに驚きました。

 

――韓国では吸えないんだっけ?

 

S:室内でタバコに火をつけたら、ボコボコにされます

 

――それは。

 

S:先輩に連れられて始めてお店に入ったとき、目の前でふかし始めたのでびっくりしました。あと、これは別の時なんですけど、テーブルに灰皿がなかったので、外に出てタバコを吸ってたら、店員さんに「お願いだから、店の中で吸ってください」って言われて。なんじゃそれ、って思いました。

 

――最近は日本も禁煙化していくみたいだけど。韓国も昔はそんなことなかったでしょ?

 

S:ここ10年くらいで急激に禁煙化しました。僕が小学生くらいの時って、ネットゲームが大流行してたんですよね。それで、ネットカフェに行ってゲームするんですけど、そのころはまだまだネットカフェでタバコが吸えたんですよね。なので、ゲームして家に帰ると、服がタバコ臭くなってて。それで、母親に「あんた、こそこそタバコ吸ってるんじゃないわよ」って怒られるんですよね。「吸ってねーよ」って。これ、当時はあるあるでした。

 

③に続く